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ノイズキャンセリングの仕組み 60度ずれで効果ゼロ

Part 1 / 6 ノイキャンとマスキング 消す・覆う・届ける6章

ノイズキャンセリングは、騒音にちょうど山と谷が逆になった波をぶつけて音を消します。騒音の山に谷を重ねれば、足して 0 になるという仕掛けです。

ブランコで考えると分かりやすくなります。こちらへ向かってくるブランコを、同じ強さでちょうどよく押し返せば止まります。押すのが早すぎたり遅すぎたりすると止まりきらず、大きく外れると、止めるつもりの手がかえってブランコを揺らしてしまいます。

子どもを乗せたブランコが点線の弧を描いて右側の大人のほうへ振れてきて、大人が両手を前に出して受け止めようとしているイラスト

音の打ち消しも同じで、タイミングが少しずれるだけで崩れます。 波の1周 (ブランコなら1往復) を360度として数えると、ずれが5度 (1周の72分の1) でも音は元の10分の1ほど残ります。30度ずれると半分が残り、60度では打ち消しがまったく効きません。それより大きくずれると、消すために足した音がかえって騒音を大きくします。

崩れやすさは音の高さで変わります。高い音ほど波が細かいので、同じ時間だけ遅れても1周の中でずれる割合が大きくなります。音が 1cm 進むほどのわずかな遅れでも、騒音を3分の1以下に抑えられるのは 1.7kHz あたりまでです。エアコンやエンジンの低い音は消しやすく、話し声や高い音は残りやすい、という性質は数式の上ではここから出てきます。

逆位相の波を足すと何が起きるか

音は空気の圧力の波です。同じ高さの音を2つ重ねると、2つの波は各時刻で足し算されるので、片方の山にもう片方の谷がぴったり重なるように合わせておけば、足した結果はどの時刻でも 0 になります。この合わせ方をした波が逆位相の波です。

200Hz の正弦波に逆位相の波を足した図。上段は完全な逆位相で、元の音と逆位相の音を足した太線が0で平らになる。下段は逆位相が30度ずれた場合で、足した結果が振幅0.5前後の波として残る

(図は数式どおりに計算したシミュレーションで、実測ではありません)

上段がぴったり合った場合で、元の音 (実線) と逆位相の音 (破線) を足すと太線は 0 で平らになります。下段は 30度ずらしたもの。足した結果が小さな波として残っていて、大きさは元の 0.52 倍、dB で言うと -5.7dB です。この章の dB は、音がどれだけ変わったかを表す差です。何倍になったかと、身近な場所の差に置き換えると、次の表のようなイメージです。

変化音の波の大きさこの章で出てくる例身近な場所の差で言うと
+6dB2倍180度ずれ (同じ向きの波を足した)
0dB変わらない60度ずれ (打ち消しが効かない)
-6dB半分30度ずれ (-5.7dB)
-10dB約3分の11cm 分の遅れで 1.7kHz の音書店の店内 (約50dB) → 図書館の館内 (約40dB)
-20dB10分の15度ずれ (-21dB)銀行の窓口周辺 (約60dB) → 図書館の館内
-40dB100分の10.6度ずれ航空機の機内 (約80dB) → 図書館の館内

身近な場所の値は、環境省が掲載している騒音の目安 (都心・近郊用) (全国環境研協議会 騒音小委員会) の図から読み取ったおおよその値です。以下の表はすべてこの物差しで書いています。

ずれと残る音の表

振幅と位相のずれを組み合わせて、残る音を計算しました。

位相のずれ0°1°5°10°20°30°45°60°90°180°
振幅100%ゼロ-35.2-21.2-15.2-9.2-5.7-2.30.0+3.0+6.0
振幅90%-20.0-19.9-17.7-14.3-9.3-6.0-2.7-0.4+2.6+5.6
振幅80%-14.0-14.0-13.4-11.9-8.7-6.0-2.9-0.8+2.2+5.1

(単位 dB。負の値は元の音より小さくなった分、正の値は大きくなった分)

位相のずれ (横軸 0〜180度) と残る音 (縦軸 dB) の関係を振幅100/90/80/50%の4本で描いた図。振幅100%の線だけが0度付近で大きく下に落ち、5度を過ぎると急速に浅くなる。振幅100〜80%の3本は60度前後、50%の線は75度付近で0dBの線を越え、どれも180度で最大になる

(図は数式どおりに計算したシミュレーションで、実測ではありません)

表から読めることは3つあります。

打ち消しが深いのは、ずれがほぼゼロのところだけです。 振幅 100% の線は 0度付近で深く落ちますが、1度で -35dB、5度で -21dB と、ずれが増えるとすぐに浅くなります。要求はぴったり逆。かなり厳しい条件です。

振幅が狂うと、位相をいくら合わせても底が抜けません。 振幅 90% なら位相が完璧でも -20dB、80% なら -14dB が上限で、図で振幅 90% と 80% の線が 0度の手前で平らになっているのがそれです。位相と振幅は、両方そろって初めて深く消えます。

60度を過ぎると、逆位相を足さないほうが静かです。 振幅 100% のとき、60度でちょうど打ち消しがゼロになり、90度で +3dB、180度で +6dB になります。180度ずれた逆位相というのは、元の音とまったく同じ向きの波のことなので、同じ波を2つ足して振幅が2倍になった状態です。

60度という数字は、同じ大きさの2つの波の足し算から出てきます。逆位相の波が 60度ずれると2つの波の向きの差は 120度になり、足した結果の大きさがちょうど元の1つ分に戻ります。打ち消しに使ったはずの音が、元の騒音と同じ大きさの別の音として残るわけです。

遅れが周波数ごとのずれになる

ずれを生む原因の1つが遅れです。騒音を拾ってから逆位相の音を作って出すまでには時間がかかります。スピーカーと耳の位置も同じではありません。遅れを位相のずれに直す式は1本です。

位相のずれ (度) = 360 × 周波数 (Hz) × 遅れ (秒)

周波数は1秒間に波が何回来るかなので、周波数が高いほど同じ遅れの間に波が先へ進んでしまい、位相のずれが大きくなります。

遅れを3通りにして、周波数ごとに残る音を計算しました。

遅れ音が進む距離-20dB を保てる上限-10dB の上限打ち消しがゼロになる周波数
10µs3.4mm1,592Hz5,054Hz16,667Hz
30µs10.3mm531Hz1,685Hz5,556Hz
100µs34.3mm159Hz505Hz1,667Hz

周波数 (横軸 20Hz〜20kHz、対数) と残る音 (縦軸 dB) を、遅れ10µs・30µs・100µsの3本で描いた図。3本とも右上がりの直線で、遅れが大きいほど左上にずれ、低い周波数で0dBの線を越える。100µsの線は10kHz付近で一度深く下に落ちる

(図は数式どおりに計算したシミュレーションで、実測ではありません)

3本とも右上がり。低い音ほど深く消え、高い音ほど浅くなります。 遅れが大きくなると線全体が左にずれ、より低い周波数で打ち消しがゼロの線 (0dB) を越えます。

音が 1cm 進むほどの遅れ (30µs) でも、-20dB を保てるのは 531Hz までで、-10dB まで許しても 1,685Hz、つまり約 1.7kHz が上限です。このシリーズで話し声の帯域として扱う 300〜3400Hz のうち、1.7kHz より上は -10dB を保てません。遅れが 3.4cm 分 (100µs) になると、-10dB の上限は 505Hz まで下がります。100µs の線が 10kHz 付近で一度深く落ちているのは、遅れがちょうど1周期分になり、ずれた波が偶然また重なるからです。役には立ちません。少し周波数が動けば外れます。

ノイキャンと低い音

この計算から、ノイキャンの性質を2つ説明できます。

低くて一定の音は消しやすい。 エアコンやエンジンのうなりのような音です。低い周波数では同じ遅れでも位相のずれが小さいので、逆位相が崩れにくくなります。

話し声や高い音は残りやすい。 話し声の帯域 (300〜3400Hz) の上のほうは、30µs の遅れでも -10dB を保てない範囲にかかります。この章の計算は正弦波1本なので、話し声のように形が変わり続ける音での崩れ方までは数字にしていません。

ただし、ここで出した数値で市販のノイキャンの性能を言うことはできません。実機では、マイクで騒音を拾う位置と遅れ、制御の方式、耳の中の音響、イヤーパッドによる遮音が、全部重なっています。この章が示しているのは、逆位相という方法そのものが、どの方向に崩れやすいかまでです。

この章で分かったこと

条件残る音
位相 5度ずれ (振幅 100%)-21.2dB
位相 30度ずれ-5.7dB
位相 60度ずれ0.0dB (打ち消しゼロ)
位相 180度ずれ+6.0dB (2倍)
振幅 90%、位相 0度-20.0dB が上限
30µs (1cm 分) 遅れで -10dB を保てる周波数1.7kHz まで
100µs (3.4cm 分) 遅れで -10dB を保てる周波数505Hz まで

逆位相は、合っている場所では深く消せる代わりに、ずれに弱い方法です。そのずれは、打ち消したい点から少し離れただけでも生まれます。耳から数cm動いた場所では、逆位相の音と騒音の届く時刻がそろわないからです。場所ごとのずれが部屋の中でどう広がるかは、ノイキャンが耳元だけ効く理由で計算します。