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ノイキャンが耳元だけ効く理由 部屋は直径2.6cm

Part 2 / 6 ノイキャンとマスキング 消す・覆う・届ける6章

逆位相で音を消せるのは、打ち消した点のまわりの小さな範囲だけです。部屋に置いたスピーカーで耳の位置の騒音を打ち消す計算をすると、騒音が3分の1以下になる範囲は、高めの音 (2kHz) で直径 2.6cm、500円玉ほどしかありませんでした。1kHz でも 7.7cm で、頭は入りません。

しかもその外側では、打ち消すために足した音が今度は新しい騒音として広がり、周りの3分の2ほど (2kHz で 66%、1kHz で 76%) が元の騒音より大きくなりました。

池に石を2つ落としたときを思い浮かべると近いです。2つの波紋が重なると波が消し合う場所と強め合う場所が交互に並ぶので、消し合う場所をちょうど耳に合わせても、少し横にずれれば強め合う場所に入ってしまいます。

同じ波を出す2つの点から広がる波紋を、ある瞬間の水面の高さとして計算で描いた図。波が重なって濃淡の市松模様がはっきり残る帯と、灰色にぼやけて波が消し合っている帯が、2つの点の周りに放射状に交互に並ぶ

狭い理由は、騒音と逆位相の音が別々の場所から届くことにあります。耳の位置でタイミングを合わせても、そこから少し動けば、騒音源までの距離とスピーカーまでの距離の差が変わり、2つの届くタイミングがずれます。騒音を3分の1以下に抑えるには、このずれを波1周の20分の1 (18度) 以内に収める必要があります。2kHz の音なら波長 17cm の20分の1で約 8.5mm しかなく、耳から 1cm ほど動いただけでも、騒音とスピーカーの向きによってはこのくらいの差がついてしまいます。

左は耳の位置で、左から来る騒音までの距離Aと、真上50cmの逆位相スピーカーまでの距離Bの差を合わせて打ち消している図。右は耳が右へ1cm動いた図で、騒音までの距離は1cm延びるのにスピーカーまでの距離はほぼ変わらず (+0.1mm)、差が1cm変わる。2kHzで打ち消しを3分の1以下に保てる余裕は約8.5mmなので、山と谷がそろわなくなる

広さを決めているのは音の波長、つまり波1つ分の長さです。部屋に置いたスピーカーの計算では直径が波長の 0.15〜0.23 倍に収まり、低い音ほど波が長いので範囲も広がって、100Hz なら直径 49.7cm になりますが、それでも部屋全体には届きません。

反響は、この狭さを高い音でさらに悪化させます。

スピーカーを耳から 50cm に置き、騒音が1方向から来る場合 (反響なし) と、部屋のように四方から来る場合 (反響あり) を比べると、静かな範囲の直径は次のとおりです。

条件2kHz500Hz100Hz
騒音が1方向から (反響なし)9.6cm19.2cm43.8cm
騒音が四方から (反響あり)2.6cm14.3cm49.7cm

四方から来る音は、どの向きに動いてもどれかの方向の音とタイミングがずれるので、2kHz では範囲が4分の1ほどに縮みます。ただし 100Hz では四方から来るほうが少し広く、反響がいつも範囲を狭めるわけではありません。

ヘッドホンは事情が違います。スピーカーを耳から 3cm に寄せると、静かな範囲はスピーカーのまわりの数cmに固定されますが、打ち消したい鼓膜の前もその数cmの中にあるので、それで足ります。部屋で逆位相が使えないのは、静かにしたい範囲がスピーカーからの距離に比べて広すぎるからです。

1点で消すと、何が起きるか

逆位相のスピーカーは、1つの点で騒音と打ち消し合うように調整されます。問題はその点の外です。

騒音とスピーカーの音は別々の場所から来るので、打ち消す点では2つの届く時刻がそろっていても、そこから数cm動いた場所では片方に近づき、もう片方から遠ざかった分だけ時刻がずれます。時刻がずれれば位相がずれます。位相がずれれば打ち消しは崩れます。ノイズキャンセリングの仕組みで見たとおり、60度ずれた時点で打ち消しはゼロ、それより大きくずれると逆位相の音はただの騒音になります。

この章では、そのずれが平面の上でどう広がるかを計算しました。

部屋の騒音 (四方から来る音) を1点で打ち消したときの、周り ±50cm の音の変化を4枚並べた図。左上は500Hz・スピーカーが耳から3cmで、耳の周りの小さな円だけが青く (静か)、残りはほぼ白。右上は500Hz・スピーカーが50cmで、耳の周りの青い範囲は小さく、平面の広い範囲が赤く (うるさく) なっている。左下は2000Hz・3cmで、耳の周りに小さな青い範囲があり、平面全体に細かい赤と青の斑点が散る。右下は2000Hz・50cmで、平面のほとんどが濃い赤で、耳の位置にも青い範囲がほぼ見えない

図は四方から来る騒音の1試行分で、× が打ち消す点 (耳)、● が逆位相のスピーカー、青が静かになった場所、赤がうるさくなった場所、点線が -10dB の境目です。

右の2枚は赤が目立ちます。スピーカーが 50cm 離れた場合で、500Hz では耳の周りに小さな青い範囲が残っていても、2000Hz になるとそれもほとんど見えなくなります。左の2枚、スピーカーが 3cm の場合は、耳とスピーカーを囲む数cmの青い円ができ、外側の色の変化は小さく収まっています。

部屋に置いたスピーカーの場合

四方から来る騒音を、耳から 50cm のスピーカーで打ち消した結果です。

周波数波長静かな範囲の直径波長に対する比うるさくなった場所
100Hz343cm49.7cm0.14522%
200Hz172cm25.2cm0.14743%
500Hz69cm14.3cm0.20863%
1000Hz34cm7.7cm0.22576%
2000Hz17cm2.6cm0.15366%

「静かな範囲の直径」は、耳の位置を含んで -10dB 以上 (音の波の大きさが約3分の1以下。dB の目安はノイズキャンセリングの仕組みの表) 静かになった範囲の面積を、同じ面積の円に直したときの直径です。「うるさくなった場所」は、耳を中心にした1m四方 (±50cm) の平面のうち、逆位相の音を足したせいで、足す前より音が大きくなった (dB が増えた) 場所の割合です。76% なら、1m四方の約4分の3で、何もしないほうが静かだったことになります。図で赤く塗った場所がこれにあたります。

静かな範囲は、波長の 0.15〜0.23 倍に収まりました。 周波数が上がって波長が短くなると、範囲もほぼそれに比例して縮みます。2kHz なら 2.6cm。

この比は、文献でよく引かれる目安と同じ桁です。純音が四方から来る部屋 (拡散音場) では、-10dB 静かになる範囲は直径が波長の約10分の1の球になります。Elliott ら (1988) が示し、後続の研究で繰り返し引かれている目安です。この章の計算は範囲を2次元の断面で測っているので、3次元の球の値とは一致しません。

うるさくなった場所は、200Hz 以上で 4 割から 7 割台です。 耳の1点を静かにするために足した音が、±50cm の平面の半分前後で、元の騒音より大きな音を作っています。静かになる数cmの外では、逆位相のスピーカーは騒音源の1つとして働いています。

ヘッドホンの位置に寄せた場合

同じ騒音を、耳から 3cm のスピーカーで打ち消した結果です。

周波数静かな範囲の直径うるさくなった場所
100Hz7.5cm2%
200Hz7.2cm39%
500Hz6.9cm48%
1000Hz5.0cm51%
2000Hz3.1cm52%

静かな範囲は数cmで、周波数による差が小さくなります。 100Hz で 7.5cm、2000Hz で 3.1cm です。50cm のときは 100Hz と 2000Hz のあいだに 19倍の差があったのに、3cm に寄せると 2.4倍まで縮まります。範囲を決めているものが、波長からスピーカーと耳の近さのほうへ移ったと読めます。

うるさくなった場所は 3cm の場合も 500Hz 以上で約半分あります。赤は薄めです。図の左の2枚を見ると、変化の大きさが 50cm の場合よりずっと小さいことが分かります。

ヘッドホンが効くのはこの形です。静かにしたいのは鼓膜の前の数cmだけで、逆位相のスピーカーもその数cmの中にあるので、打ち消す点とスピーカーが両方とも耳のそばにある限り、静かな範囲が狭くても困りません。

スピーカーを耳から離すと、この前提は崩れます。

点音源1つの場合

騒音が2m 先の1点から来る場合も同じ形で計算しました。数字は四方から来る騒音と違いますが、傾向は同じです。

周波数3cm: 静かな直径3cm: うるさくなった場所50cm: 静かな直径50cm: うるさくなった場所
100Hz7.4cm10%43.8cm23%
500Hz6.3cm38%19.2cm69%
2000Hz2.0cm45%9.6cm69%

50cm のスピーカーでは、騒音の来る方向が1つでも 2kHz で静かになるのは直径 9.6cm で、うるさくなった場所は 500Hz 以上で約7割でした。方向を1つに絞っても、部屋は静かになりません。

この計算が言えないこと

この章の数字は、数式どおりに動く理想のスピーカーを、壁のない空間に置いた計算です。実際の部屋で加わる壁や家具の反射、理想の点音源にならないスピーカーの広がり方、騒音を拾うマイクの位置と遅れは、どれもこの計算に入っていません。

市販のノイキャンの性能も、この数字では言えません。ヘッドホンでは耳の中の音響やイヤーパッドによる遮音も効いています。この章で言えるのは、逆位相という方法で静かにできる範囲が、波長とスピーカーの距離でどう縛られるかまでです。

この章で分かったこと

スピーカーが耳から 3cmスピーカーが耳から 50cm
静かな範囲 (2kHz)直径 3.1cm直径 2.6cm
静かな範囲 (100Hz)直径 7.5cm直径 49.7cm
範囲を決めるものスピーカーと耳の近さ波長 (0.15〜0.23 倍)
うるさくなった場所 (200Hz 以上)39〜52%43〜76%
向いている使い方耳元だけを静かにする部屋を静かにする用途には向かない

この計算の条件では、部屋全体に広がる不規則な音、とくに話し声は逆位相で消せません。話し声の帯域は高い側で 3.4kHz まであるのに、2kHz の時点で静かになる範囲は直径 2.6cm まで縮み、頭1つ分の広さも残らないからです。音を足して覆う側の話はマスキング効果は帯域で決まるで扱います。